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パワースポットの雰囲気漂う、諏訪信仰発祥の地《諏訪大社上社前宮》~御朱印集め開運紀行#65

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11/8・9の長野旅行で、諏訪大社を訪れました。
諏訪大社は諏訪湖周辺に4箇所の境内地を持ち、上社(本宮、前宮)と下社(秋宮、春宮)の二社四宮からなる神社。
9日の朝一番で上社本宮を参拝し、そこから数キロ先の前宮をお詣りします。

県道岡谷・茅野線沿いの駐車場。
山の上の本宮近くにもクルマを停めるスペースがあったので、足の弱い方はそちらを利用してもいいかも?

県道側から見た大鳥居。


上社前宮は御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が出雲で国譲りに反対し、諏訪に移ったとき最初に居を構えた地と云われています。
いわば諏訪の神への信仰が発祥した地。古くは前宮において上社のすべて祭祀が行われていたんだとか。
またもう一つの国譲り神話としても興味深く、守矢家との関係が室町時代初期に編まれた『諏方大明神画詞』などに記されています。
その逸話は、出雲系の建御名方命が諏訪に侵攻したとき、この地には洩矢神(もりやのかみ)を長とする先住民が暮らしていました。
天竜川河口で戦いとなり、洩矢神(もりやのかみ)は敗北。建御名方命はこの地の支配者となり、諏訪大明神となるわけです。
しかし洩矢神の一族は滅ぼされず、子孫の守矢氏が神長(のちの神長官)という筆頭神官の位に就き、以来、守矢家は古代から明治時代の初めまで、諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)の役職を勤め、代々一子相伝の口伝により、歴史を伝えてきたと言われています。
前宮のすぐ隣りの県道沿いの高部地区には〈神長官守矢資料館〉という施設があり、そこではかつてのミシャグジ神信仰(大和民族に対する先住民の信仰)の祭祀の状況が展示されているそうです。
守矢家は諏訪の神官の中で唯一狩猟を許されていた一族というのも興味深く、諏訪大社上社で毎年4月に開催される御頭祭(酉の祭)は
鹿やイノシシを生贄として神に捧げるための神事で、アニミズムにも繋がっていそうです。
そちらへも見学に寄ってみたかったのですが、時間がなくて断念。
では前宮に戻ります。
上社前宮は水源が豊かで日差しに恵まれた高台にあり、四社の中で最も小さな神社です。

鳥居の先は結構急な坂道。お婆さんが顔を歪めながら降りてきました。

中間にある鳥居。神原(ごうばら)と呼ばれる場所です。
ここに諏訪明神こと建御名方神が最初に出現したといわれています。
恒例の狛犬チェック。


手水舎もこのあたり。

神紋殻の木なんていうのもありました。

さらに坂が続きます。

途中で休憩所のようなものが。


マンホールには土偶のイラストも。

ここを登りきるとようやく本殿がお目見え。(前宮以外には本殿と呼ばれる建物がありません)

現在の本殿は昭和7年に伊勢神宮の御用材を使って建てられたもの。

古木に囲まれた様はいかにも神聖な地。

質素な建物がいっそうパワースポット感を煽ります。
実際に、拝殿の階段下で跪いて祈る参拝者の方々もいて、他の神社では見たことのない情景を目撃しました。
御柱もこの周囲に四本立てられています。

ちなみにこれは二之柱。

近くを流れる名水水眼。

では、坂を下りて、社務所へ向かいます。

御朱印をもらわねば。

初穂料は500円。
時間がなくて、下社には行かれませんでした。いつか完全制覇します。



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