大阪・難波にないのに「難波神社」~御朱印集め開運紀行㊷~

御祭神は仁徳天皇

長かった大阪出張の最終日。仕事を終えてキャリーバッグを転がしながら御堂筋を心斎橋方面に歩いている途中で、神社を見つけました。
ところで、御堂筋ってどんな意味?
16世紀末に沿道に移ってきた浄土真宗の二つの寺院が、御堂筋の名前の由来とされています。
「北御堂(本願寺派本願寺津村別院)」と「南御堂(真宗大谷派難波別院)」。
*御堂とは寺院や仏像を安置したお堂のこと。
二つの御堂を結ぶ道だから「御堂筋」ってわけ。
で、大阪市によると「御堂筋」は正式名称でもなんでもなく、正確には「国道25号と176号の一部」。御堂筋ってのは愛称なんだそうです。


それはさておき、
私が参拝したのは「難波神社」。

住所は中央区博労町にあり、難波ではなく心斎橋エリアに鎮座しています。
なぜ「難波神社」なのかというと、昔の心斎橋は上難波と呼ばれていて、現在の難波地区は下難波と呼ばれていたのだとか。
そんな由来も知らないまま、参拝を開始。新幹線の時間も迫っているため、そそくさと先を進めます。

創建は406年。反正天皇が父親である仁徳天皇を偲んで建てた神社が始まりで、この場所に移されたの1583年、豊臣秀吉の大阪城築城の時代。
植村文楽軒がこちらの境内で人形浄瑠璃小屋の興業を始めたことで、文楽発祥の地とも云われています。
これが手水舎。(手を清めるのを忘れていたような。寒かったし…。)

摂津国の総社とされ、かつては「難波大宮」又は「平野神社」とも呼ばれていたそうです。
すぐに本殿へ登壇。

太平洋戦争の空襲で焼失したため、コンクリート造りです。

祭壇の右下手には大きな鼠の絵馬が。
狛犬の左。背中に子供の獅子を背負っているのは珍しい。

そして右。

左足で毬を踏みつけています。サッカーファンが見たら何か御利益を感じるかも?
本殿左側、西門横にあるのが「金刀比羅神社」。

御祭神は讃岐の金刀比羅宮から勧請された大物主神。
左奥には難波神社の代名詞とも言われた「博労稲荷社」。

商人の町らしく、お稲荷さんだけが派手な佇まいです。

船場の商家の中心地だった博労(ばくろう)町では、「博労のお稲荷さん」の方が通りが良かったとも云われています。

商売繁盛に御利益があることで有名で、江戸時代の昔は船場の豪商たちがこぞって参拝したことでしょう。

本殿の右側に社務所があります。

なぜか中国人の親子が御守りに群がっていました。

御朱印は書置きのみで500円でした……。
南鳥居の向こう側にフェラーリの代理店が。いかにも心斎橋です。

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