令和2年の初詣は「烏森神社」で心願色みくじ~御朱印集め開運紀行㊶~

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新橋にあるカラフルな御朱印が人気の神社

初詣は1月2日。新橋まで出かけてきました。

特に理由はなかったのですが、初代の御朱印帳が残り1ページになっていたため、何種類も配っていない、書置きを配る神社が最適と判断してのこと。
訪問したのは「烏森神社」。

かつてこの一帯は、江戸湾の砂浜で松林だったそう。烏が多く集まって巣をかけていたため、「烏の森」と呼ばれたことにより、「烏森」という名になったとか。
昭和までは新橋周辺は烏森町という町名で、その名残から新橋駅には烏森口という出口があるわけです。
西暦940年(天慶三年)に藤原秀郷によって創建したと伝わっています。
1657年の明暦の大火で、この一帯は火災にあったものの、奇跡的に当時の「烏森稲荷」のみが類焼を免れたため、神威を示し江戸市中で人気を集めました。
とはいえ、関東大震災や太平洋戦争では燃えてしまったようで、今はビジネス街の新橋らしい、モダンな建物となっています。

御祭神は、倉稲魂命・天鈿女命・瓊々杵尊。
商売繁盛や技芸上達などに御利益があるそうです。
御利益とかで特化した印象は少ないのですが、ここは季節ごとのカラフルな御朱印で定評があります。
十年ほど前から、四隅に四色の神紋を押したカラフルな御朱印を用意するようになり、昨今の御朱印ブームの先駆けともいえる存在です。
最初の御朱印帳の最後のページを飾るのに相応しいかなと思い、訪れたわけです。
アクセスは新橋駅から徒歩2分。私は都営三田線の内幸町駅から向かったので徒歩5分くらいでした。

SL広場とニュー新橋ビルが並ぶ駅前の道路から、こんな路地に入るとすぐに見えてきます。

参道と呼ぶにはあまりにも狭い通路に、人が並んでいます。その数50人くらい(1月2日の午後2時)。

ビルの間に挟まれたコンクリート造りの社殿です。この形態になったのは昭和46年だそうです。
手水舎もこんなコンパクトサイズ。

狛犬も2体だけ。これが右側。

これが左側。阿吽の岡崎現代型というらしい。

烏森稲荷と過去に呼ばれていたと聞きましたが、お稲荷さんらしいキツネの像は見かけませんでした。
本殿で参拝する列なので、流れも良く約10分で到達。

いつもの二拝二拍手一拝で、参拝は終了。

階段を下り、向かって左側の御朱印の列に並びます。

新年用のスタンプが押されたもの。初穂料は書置きで500円。
一緒に心願色みくじをお願いして、併せて千円お渡ししました。
御朱印と同時に長寿梅茶と御守をいただきました。

で、ここの目玉は心願色みくじ。
普段、御朱印はいただいても、おみくじを引くことは滅多にないものの、正月ということもあり奮発してしまいました。
「心願色みくじ」とは色で叶える願掛けのこと。
実用新案出願済ということは、烏森神社独自のものなのでしょう。
占いたいテーマにより、おみくじが4色に色分けされているのがポイント。
赤(恋愛・良縁)、黄(金運・幸運・商売)、
青(厄祓・仕事学業)、緑(健康家庭)。
自分が選んだのと同色のペンで願い事を記した後、おみくじを結び紐に結びます。そしてその願い札は後日、神職により心願成就祈願が行われるというシステム。

ここが心願色みくじの受付。
私が選んだのは当然、金運。
黄色をお願いして、筒から一本取り出します。
渡されたのは、おみくじ・願い札・願い玉の3点セット。
棒には色ごとの番号が書かれていて、黄色は27番。

大吉です。
普段、おみくじを引かないため、確率も分からず、感動もありません。

巫女さんの指示通り、右手奥の別室に移り、願い事を書きます。

右側は願い玉なんだとか。
左側の願い札に、自分が選んだ黄色のペンで願い事を書き入れます。
願いはもちろん、来週のマカオ遠征での大勝。


おみくじを読み込むと、総体運では「自分の意志を通しやすい時。何事においても思いや願いが通ります」と書かれていました。
また金運は星5つで、「大きな財運が回ってきますが、思い込みや我の強さで運用を失敗しないように」とのこと。

家内安全や健康を祈願していない段階で、御利益が逃げていきそうな気もしますが、
現生利益だけが日本の宗教の特徴。
商売繁盛とか受験合格とか、自分勝手な事を祈っている他の民衆と同じレベルです。
サラリーマンの街・新橋で小さな祈りを捧げてきました。

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