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《仮面の女神》と《縄文のビーナス》~茅野市尖石縄文考古館で国宝の土偶と対面~縄文遺跡の聖地・長野の旅①

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こう見えて、考古学が大好きなんです。
特に縄文遺跡と野人(ネアンデルタール人)。
11月はマカオ遠征をお休みして《
縄文遺跡の宝庫》と云える長野県を訪問することに。
雪の季節になるとクルマの運転が厳しいことと、お目当ての土偶が博物館に帰ってきたのが理由です。



茅野市尖石縄文考古館

今回の旅で最初に訪れたのは長野県茅野(ちの)市。
諏訪湖のほとりにあるその都市は、標高約750m。八ヶ岳の麓の街です。
市内の尖石(とがりいし)石器時代遺跡には、約5千年前の縄文時代の竪穴住居跡が数多く出土し、国指定特別史跡となっています。
さらに日本にある縄文の国宝土偶5体のうちの2体が、時を隔てて出土しているという奇跡の地なんです。
拝観できるのは「茅野市尖石縄文考古館」。

まさに縄文ファン垂涎の場所。
神奈川県三浦市の我が家からは約270kmの距離。約4時間のドライブでした。
諏訪ICで降りて、現地まで約30分。

10月中旬まで北海道の博物館に貸し出ししていると聞いていたので、2体が同時で見られるこの時期をずっと待ちわびておりました。満を持しての出陣です。

入場料は500円。

平日の水曜午後で、50名くらいの入場者が確認できました。
さぁご対面。

縄文のビーナス(1985年出土)

まずは1985年に棚畑遺跡で発見された《縄文のビーナス》

妊娠した女性を模したと云われる土偶。そのふくよかで美しいフォルムと、光沢があり表面の雲母できらきらした見た目で、発見当初から「縄文のビーナス」と名付けられたそうです。

全長は27cmで、制作時期は約5千年前と想定されています。
驚きなのは、ほぼこのまんまの状態で土中に横たわっていたこと。

通常の縄文土偶はバラバラに破壊されたものが多く、かなり異例で特別な意味があるのではと推測されています。
国宝に指定されたのは9年後の1995年。

当時の文部大臣は与謝野さんだったんですね。

顔のアップ。

頭に巻かれているのは、ダーバンのようなものでしょうか、それとも冠?
穏やかな顔つきはこの時期の土偶と同様ですが、よく見るとハート形の仮面をつけているようにも見えます。
安定感のある後ろ姿。

昔ならバックシャンなどと褒められているでしょう。
横から見たフォルムが独特。


突き出たお尻に向かってのくびれというか、反り方が絶妙なんです。以前、テレビで館長(発見者)が語った際には、〈背中のくぶれが手にフィットする〉と自慢されていました。
まさにヴィーナス。
この時代は、子孫を残すことが最大の社会課題でしょうから、子を宿した女性は崇拝の対象だったのでしょうね。

仮面の女神(2000年出土)

縄文のビーナスが国宝に指定された5年後に、同じ茅野市でさらに怪奇な土偶が発見されました。
中ッ原遺跡で見つかった《仮面の女神》

見た瞬間に圧倒される、痛快なフォルム。
仮面以外のカラダの表面にも文様が描かれ、縄文のビーナスとは一線を画しています。
制作時期は縄文の女神から千年後の、約4千年前と云われています。

全長は34cm。こちらも足が破損していたものの、ほぼこの状態で穴に横たわっていたそうです。

下半身に女性器らしきものがあることから、妊娠した女性だと推測されています。(そんなに腹が出ているようには思えないけど…)

顔につけられた三角形の仮面。

この意味を考えただけで夜も眠れなくなります。


横から見ると、三角形のお面がヒモ状のもので縛り付けられていて、頭部にはヘルメットのようなヘッドギアが被せられていました。

祭礼の際の装備なのでしょうか?
女性と思われることから、シャーマンとか巫女ではという説もあります。
首筋に横に貫かれた1cm弱の穴は何の意味(役目)があるのか? 謎だらけです。
土偶としてもかなり大きいサイズで、素晴らしい保存状態。人類の奇跡です。
この二体を目前にした私は、何度も引き返しては引き寄せられ、およそ1時間は見惚れていました。


装飾が見事な縄文土器

尖石縄文考古館では土偶の他にも、この地方で出土した様々な縄文土器が展示されています。

縄文土器の特徴は、その過剰なまでの装飾。



土器上部に付けられた輪っか状の取っ手?や、土器表面の文様には動物が描かれたものもあります。
弥生時代のそれと較べても、やりすぎなまでに華美な模様が描かれ、実用性とはかけ離れた何かを感じます。
出産直後に亡くなった子供の亡骸を収めた棺桶だったという説もあり、宗教的な意味もあるのかも?
〈下手な土器の例〉という展示があり、個人的にはツボでした。


土器作りとは、実際には熟練を要する作業だったのでしょう。誰もが簡単に作れるわけがありません。
〈吊手土器〉という種類もありました。

縄文時代の時期や場所でもかなり変化や違いがあるという説明も、興味深かったです。
最後に、縄文人の服装も展示されていたのでご紹介します。

毛皮を羽織っているイメージがあったけど、夏にはこんな軽装なんでしょうね。

竪穴式住居跡

考古館の100mほど先の広場には、竪穴住居の復元施設がありました。

〈与助尾根遺跡〉と呼ばれています。

3つの住居跡が展示されていました。

中はこんな感じ。
野良犬や熊が飛び出てきたら怖いので、恐る恐る潜入しました。


茅葺で冬でも案外、温かいらしいです。

2時間ほどの滞在でしたが、私の知的好奇心を揺さぶる貴重な体験でした。

ホテルから見た諏訪湖の夕焼けです。
野人(ネアンデルタール人)の話はいずれまた。

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